ひなたは試合会場への送迎の車の中で、窓から飛び出してでも逃げたかった。
後部座席の横に座っているカンノが、その気持ちを読み取って素手で手を握ってくれている。
じっとりとカンノの手は汗をかいている。
浩太は何も言わないが、運転席からひなたの様子をチラチラ見ている。
桃香は助手席で、ひなたより緊張した顔でガチガチに固まっている。
七海とイネ婆ァは、刺激が強くなるからとカンノが来るのを止めるようにと言ったので来ない。
*
試合会場の市民体育館にはすぐ着いた。
カンノは相手から用意された黒いボクシンググローブと、用意して来たこちらのマウスピースケースを更衣室に
持ち込んできた。
「お姉ちゃん、一つだけ注意が増えた・・・・・・出来るだけパンチは受けないで!」
「受けとうはないけど、何で?」ひなたは体操服と黒のブルマへと着替えながら言う。
「相手の用意したグローブは、簡単に言えば素手と変わらない位しか綿が入ってない、簡単に怪我するよ」
「わかった。後はマウスピースだけじゃね」
「今から作り直す、アメリカの方の肉厚で素材も柔らかいモノがバッグに有った。これでダメージ少なくしなきゃ」
「そんなに大事なもんなん?マウスピースって」
「うん、歯、折りたく無いでしょ?口の中もズタズタにされたくないでしょ?」カンノが真面目な顔をして言う。
「うん・・・・・・」
*
「セコンドは、リゾート賛成派が何とか見つかったんでその女の子にやってもらう、俺はヒットマンを探すから」
浄はそう言って、あかりに体操服と赤いブルマ、そして赤いボクシンググローブを渡す。
「兄ぃ、ありがと、後は自分で着替えてバンテージも巻けるけ」
「ああ、じゃあ、お互い生きてこの島を出るまで・・・・・・な」そう言うと浄は更衣室を出て行った。
*
最初にリングに向かったのは、ひなたサイドだった。
ここでもカンノは気を遣い、ひなたを先導するように堂々と歩いた。
おかげでプレッシャーになる湧きに沸いたひなたコールのプレッシャーも減った。ただカンノの後頭部を見ながら
それに付いていけば無駄な事を考えずに済む。
それにしても体育館ギュウギュウに人がいる。応援コールからすると、ほとんどひなたの味方らしい。
そして少し遅れてあかりサイドが出てきた。当然の如く罵声が飛び交う。この島ではほとんど悪役なので当然と
いえば当然の反応だ。
だがあかりは、ふてぶてしく笑っている。オロオロしているのはセコンドだけだ。
「あっ!」カンノが声をあげた。あかりはボクシングシューズを履いている。
「ここに電話したら、必要なものはマウスピースと体操服とブルマだけで良いって言ってたのに!」カンノは唇を噛んでいる。
「ウチだけ体操靴か」ひなたは言ったが、その二つの違いはカンノが一番良く知っている。
(不利だって情報を与えないようにしなくちゃ)カンノはそのまま黙っておく事にした。
「重大な試合なので、入場に曲も無いし、最初のレフリーのルール説明も無い、私が教えたままでいいから頑張って!」
カンノはセコンドモードに入った。「じゃ、マウスピースを咥えて」
ひなたの口に肉厚で柔らかいマウスピースが押し込まれる。
《三時になりました、試合を開始します》
体育館のスピーカーから放送が流れると、ゴングが鳴った。
「いけぇぇぇぇぇぇ!」カンノは思い切りひなたの背中を叩いた。
バシーン!
カンノが緊張のほどける一瞬だった。
*
浄はひたすら歩き回って怪しそうな人間を探した。
「一階にはまずいない、人ごみの中で銃なんて出せないからな。二階の立ち見で、よりすぐ逃げやすい場所にいるはず」
そう言って腕時計を見る。
「三時半に島を出る船がある。とりあえずあと30分以内に探さなければ逃げられる可能性もある」