駅を降りると、すぐ目の前にコロッセオが見える。

ここはイタリア。K教員に美由紀と小百合が後ろを付いて歩く。

「観光名所なのに誰も人がいないねぇ」

美由紀は事前にインターネットで調べていた。あるブログに

行列が並んでコロッセオに入る順番を待っている。と書いてあった。

だが本当に一人もいない。

「それだけ力を持ったお偉いさんって事」Kはそう言いながらサングラスをかける。

 

 「で、地下ボクシング場をイタリアでやりたいから試合を見せてくれって事ですよね?」

小百合が聞くと。K教員は少し唸った後に。

「実は、こちらが売り込み、日本を中心にして世界に支部を作りたい」

と言った。

「あ、逆なんですね。まあでも、別に試合をすれば良いだけですね」

小百合が言うと、更にK教員は唸った。

「実は…ギャング関連なので、つまらない試合をすると殺されるかもしれん。

ちなみにコロッセオでの試合を決めたのは向こうからだ。金使ってプレッシャーをかけられているんだ」

 

いつもと違う真剣なKの顔に、美由紀と小百合は緊張する。

「頼むから、良い試合をしてくれ…」

Kは力なく呟いた。

 

闘技場に入ると、崩れていた戦いの場が修復され、その上にリングが置いてある。

「な?ここまで金使われるとプレッシャーだよな」Kはそう言って、苦笑する。

 

「美由紀は赤コーナー、赤いグローブな。小百合は青コーナーの青グローブ。

共通するのはトランクス無しという事だ。あ、マウスピースは用意してある奴でね」

美由紀と小百合は黙って柱の影で着替える事にした。

「隠れても、どうせ裸で試合するから問題無いんだけどね」小百合はそう言って笑った。

美由紀もつられて笑うが、二人の笑顔は少し無理をしているようにも見える。

 

Kが二人にリングへ上がるように指示して、ルールを説明する。

「ラウンド無し。どちらかが死ぬまでと、向こうはルールを指定して来た」

「あ、それはさすがに断ったから大丈夫だ。意識が途切れるまでに変更してもらったよ」

美由紀と小百合はとりあえず安堵のため息をついた。死ぬまでというルールはさすがに

日本の地下ボクシングには無い。

 

「頼んだ…」そう言ってK教員は持ってきたゴングを鳴らした。

美由紀はまず考えた。小百合は自分独特の持ち技を会得していると噂がある。一直線に

せめて行くのは自殺行為だと思った。

小百合が息を大きく吸って吐き出す。その直後、ひざから下を巧みに動かし、物凄い

スピードで美由紀に攻めて行く。

美由紀はガードをして待っている。小百合はガードをすり抜けるように打つパンチ。

ファンの間で「メイルブレイカー」と呼ばれているパンチを持っている。

美由紀の射程距離に入ると、小百合はメイルブレイカーを打ってきた。

タイミング良く美由紀は足を使って、半円を描くように滑り、小百合の後ろにまわりこんだ。

「私だってオリジナルの技は、常に研究してる」そう言って、焦って振り向いた小百合の顔に

真っ直ぐに美由紀のストレートが決まった。さらに追い討ちをかけようとしたが、小百合は

滑るように移動して、距離を置いた。

 

 日光が照り付けられ、二人の体は既に汗を相当かいている。

「美由紀はやっぱり凄い。初めての技をアッサリ攻略されちゃった」

小百合は言ったが、どこかしら余裕の笑みを浮かべているように見える。

「でもこれは違う技を開発した時に出来た副産物のようなモノだから」

小百合はそう言うと、美由紀に迫り、目の前に立った。

そして、打つパンチはメイルブレイカーだと、フォームで美由紀は理解をした。

(ガードは無駄だ、カウンターを狙おう)美由紀も腰を捻りながら、ストレートを打つ。

だが、美由紀より遥かに早く小百合のフックが顎ごと吹き飛ばすように綺麗にヒットした。

小百合は足を鍛え、ふんばる力を強めてパンチのスピードを加速させたようだった。

 

 美由紀はロープに背中からもたれかかって、空を見上げる形になった。

そしてズルズルとロープから落ちて行き、股を開いてへたり込んだ。

汗のせいか、陰毛もサラサラしておらず、蒸れて、ヘアスプレーを吹きかけたようになっている。

そして股を開いたせいで性器もパックリと開き、ほんのりと醗酵したチーズのような匂いをさせる。

 

(これでパワー不足も補えた!今日は確実に勝てる!)

小百合は特訓の成果を確かに感じた。そしてふと自分の青いグローブを見ると、べっとりと

美由紀の汗が付着しており、ワセリンでも付けて伸ばしたようになっている。

美由紀は強烈な一発のダメージを引きずる形になっているのか、かなり立ち上がるのが遅い。

ゆっくりと、息を荒くしながら立ち上がり、忘れていたといわんばかりの顔をして、ファイティングポーズをとった。

「悪いけど、美由紀の技はほとんど攻略出来てるみたいだから、早いけどやっちゃうね」

小百合は右、左と交互にストレートを美由紀の顔面に打ち込む。唾液が一発ごとに飛び散り、小百合は

それを体中に浴びる。体の水分が汗で抜けているのか、唾液は粘性がとても強い。

 

 フィニッシュブローと意識せずとも、美由紀はストレートの連打だけで意識が朦朧としているらしい。

反撃もされない。小百合が手を止めると、ほとんど白目になった美由紀は、膝を付き、マウスピースを勢い良く吐いた。

マウスピースはあまり跳ねず、少し転がって止まった。

その後、美由紀はうつぶせに倒れた。

小百合は美由紀が立ち上がるのを待っていたが、ふと鼻を鳴らす。臭い。

美由紀の唾液を浴びて、日光ですぐに乾き、唾液が最も臭い匂いになっている。

独特の生臭い匂いは消え、その分、刺激臭が増している。美由紀の吐き出したマウスピースも、かなり乾いていた。

唾液を溜めるような形状をしている為、唾液の量に増して、乾くと濃縮される匂いが発せられるようだ。

そして小百合は大量の汗をかいており、汗の酸っぱい香りがミックスされて、ひどい匂いだ。

ただ、美由紀はこの匂いが好きだった。殴りあった結果の匂いを、逆に誇らしげに思ってしまう。

使われていた頃、当時のコロッセオのように、相手の返り血を浴びているように誇らしい。

 

「(終わりか?)だそうです」

通訳がK教員にそう話しかけた。

「まだまだだ。と伝えてくれ」Kは嫌な汗をかきながらそう言った。

 

 

美由紀は這いながらマウスピースを持ち口に入れ、ゆっくりと立ち上がる。

小百合は更に攻撃を加えようとした。だが足が止まった。体の調子がおかしい。

「コポッ」と、魔法瓶からスープでも注ぐような音をたて、小百合が嘔吐した。

顔は蒼白になり、一瞬、美由紀の位置を見誤り、違う方向を見た。

熱中症の症状が強く出て来ているようだ。

(私、優勢だったよね…優勢だったのに…)吐き気をガマンしながら小百合は困惑した。

一気に責めて、自分で体温を上げる上にこの焼けるような暑さ。精神の高揚。

全てが一瞬にして逆効果として襲ってきた。

 

(試合になんかならない…熱中症で二人とも最悪な結果に…)

Kはそう思った瞬間には、隠し持っていた銃を取り出した。

「二人に休憩と詰めたい水、そして休憩する時間を求める!」

Kは自分が回りに潜んでいる護衛にハチの巣にされる覚悟で言う。

ボスらしき男は日陰の中でニヤニヤと笑っているようだ。

 

タン!と音がした。Kは自分の腹部が撃たれたと確かに感じた。

だがKは全く動じず、同じ言葉を繰り返した。

ただ最後に、元XX組の直径のXX会と付けた。

通訳から全て聞き終えたボスらしき男は、少し考えていた。

 

「冷えたスポーツドリンクのペットボトルを二本与える」

そう、通訳から返事が返ってきた。

 

リングの上で意識が朦朧とした二人の頭上から冷たい水が大量にかけられた。

そしてスポーツドリンクが手に握らされる。

二人は迷わずそれを飲んだ。

きちとんとした熱中症への対応では無いが、これが今は精一杯出来る事であり、少しの時間は稼げる。

 

小百合はガードをしてその場に留まっている。

「何とかお互い、寿命が延びたみたいだね、ほんの少し」

美由紀が言うと。小百合も黙って頷いた。

 

 

「熱中症予防のプレゼントらしいぞー!」

遠くからKの声が聞こえた。Kの腹部からは血が流れているが、それは美由紀と小百合には見えなかった。

美由紀はその声にフッと笑って

「じゃあ今度は私から攻めてみようか」と言い、走る。

(引き付けるだけ引き付けて、フットワークで逃げれば問題無い)小百合は冷静に考えていた。

美由紀が迫り、もうすぐフットワークを使おうかという時、美由紀は先ほど使った回り込みの動きをした。

(!?)小百合のシミュレーションが崩れた。予想外の反応。

迷う間に、小百合の右頬に回転を利用した裏拳がめり込んだ。

小百合は踏ん張っていた為にダメージを吹き飛んで軽減する事が出来ず、ほぼ全てのダメージを食らった。

美由紀の拳も振りぬけず、小百合の頬にメシメシと音をたてて止まる。

小百合の口から唾液がごぼっと溢れた。

小百合の目の前が真っ白くなって行き、倒れるように見えた。

だが残った僅かな時間に、美由紀の回りこみステップをそのまま再現し、油断している美由紀の左頬に裏拳を叩き込んだ。

美由紀の口から唾液が吹き飛び、今にも目が裏返りそうな姿を確認してから、うつぶせに小百合はダウンした。

それに続いて美由紀もあおむけにダウン。

 

(それでええ、お前等の試合を見せつけろ!)

Kは仁王立ちをして腕を組み、頷いた。

腹部からの出血は止まらず、Kの顔色はひどく悪い。

 

小百合がヨロヨロと立ち上がる。美由紀はまだ半分気絶しているようだ。

浴びせられた水はとっくに感想して、汗が出始めている。

カウンターを受けてあおむけに大の字に倒れている美由紀が失禁をしている。

あまり激しく泣く、チョロチョロといった程度だが、量は多い。生々しい香りが漂う。

 

小百合は息を整える。きっと美由紀は立ってくる。その時に備えて心を落ち着け、その後にナイフで切り取るように

心を鋭くして行った。

 

美由紀は白目の状態で、立ち上がろうとしている。ダメージ計算をすると、裏拳をモロに受けた小百合の方が後に立ち上がっても

おかしくは無かった。小百合は、だからこそ無理をして早く立ち上がった。精神的に美由紀を圧迫する為だ。

気を抜かず、さらに研ぎ澄まし、願わくば自分の撃つ一撃が最後になりますようにと。

 

 美由紀は立ち上がった。時間がどのくらい過ぎたかは分からないが、もう尿は蒸発寸前だ。

尿の乾いた独特のしょっぱいような、香ばしい匂いがリング上に広がる。

 

Kが必死に立っている中、銃のカチャッという音がした。

Kは覚悟をしていた。

だが違った。たくさん潜んでいたイタリアギャング達は銃を捨てた。その音だった。

「ヒョッホー!」と寄生をあげ、美由紀と小百合のリングサイドに走っていく。

 

「やったな、奴等の心に火を着けた」Kは嬉しそうに独り言を言った。

 

Estoy loca por ti.!!!!」

?Tienes novio?」

 

リングの外から言葉が飛び交ってくる。

 

(これで!これで!)小百合は用意していたように腕を後ろにまわしていた。

そこから拳を突き上げるように上へまわし、その勢いでマットに叩きつけるようにパンチを打つ。

 

美由紀はのけぞった。というより、後ろへ倒れた。

(限界だった!?)小百合はそのままパンチを空振りした。

美由紀は背を丸め、くるんと後ろ周りをして立ち上がった。

小百合はそのままバランスを失って倒れた。

すぐ立ち上がろうとするが、気分が悪くなって来た。

必死にグローブで口を押さえるが、胃液が溢れ、その量にたまらずグローブを口から離して

何度も吐いた。

Stia in piedi!」(立て!)と、美由紀が叫んだ。

ギャラリーが熱狂的に盛り上がる。

小百合はヨロヨロと立ち上がる。

そこへ容赦無く、美由紀は右フックを叩き込んだ。小百合の口からマウスピースが吐き出され、ビシャビシャと跳ねる。

(次はフィニッシュが来る!)小百合はクリンチをした。

汗ばんだ二つの肉体がニチャリと一つになり、二人の汗や尿の匂いが陽炎のようにたちのぼる。

ギャラリーの一人が興奮しすぎたようで、倒れた。

 

小百合はすぐに、自らクリンチを解いた。

そしてメイルブレイカーのようなパンチを近距離から美由紀のボディに打ち込んだ。

反射的に美由紀が口からマウスピースを吐いて、それは小百合の顔にビチャッと当たった。

小百合はそれを振り払うが、強い唾液の匂いは残った。

小百合は最後の力を振り絞った。口から胃液を吐きながらアッパーを打った。

骨を砕くような硬い音がして、美由紀の顎が跳ね上げられ、血と唾液を吐きながら体を中に浮かべた。

(スロー…モーション?)美由紀は方向感覚を失い、それでいて自由にならない体に違和感を感じた。

そして暗く絶望的な場所に体を叩きつけられる。激痛が体中を遅い、精神は黒い「何か」に食いちぎられていくような

絶望感に犯されていく。

しばらくしてそれがダウンしたという事に気が付いたが、目の前が

テレビを切るように、一瞬中央がフラッシュしてから。意識はシャットアウトされた。

 

 

太陽が照りつける中、シーンと静まり返るリング、そしてギャラリー。

美由紀は仰向けに倒れていた体をうつぶせになるように体を転がし、両腕で体を持ち上げようとした。

その途中で、意識は途切れ、美由紀の口から血が吐き出され、全ての力を失って倒れた。

そして泡をゴボゴボと吹きながら痙攣のように体を揺らした。

小百合は自分の勝利を確実に感じ取った。そして両腕を突き上げる。

Io vinsi!」(私の勝ちだ!)と小百合が叫ぶと、ギャラリーは最高潮に盛り上がった。

荒野で野たれ死んだガンマンのように美由紀はその姿を惨めに晒していた。

ギャラリーがリングに上がり、小百合に群がった。

「ひょっとして…私の体臭目当てとか?」やけに鼻を鳴らすギャラリーの男達に、小百合はボソッと言った。

 

 

 

水が大量に用意され、小百合と美由紀に浴びせられた。

そこでやっと小百合は落ち着いて座り込んだ。生き返るようだ。

美由紀はそれでも起きない。白目をむいたままだ。

 

 

 美由紀が気が付くと、一人で柱の影に寝そべっていた。誰もいない。

「負けたのか…」そう呟いた。

置手紙があり、K教員が銃で撃たれていた事、そしてかつぎこまれた病院先の地図が置いてあった。

頭が少しクラクラする。だがK教員の事が気になる。美由紀は急いでバスに乗った。

 

 

 

病院に入り、どこへ行けば良いのかを考えていると、笑い声が聞こえた。

「イタリア制覇か?」そして馬鹿笑い。

美由紀はフッと笑うと、声のする方へと歩いていった。