「エンターテイメントとは難しいな、僕の経験はまだ足りないらしい」

五色は飛び出ずにブツブツ言いながらスタスタとリングの中央へ向かう。

「アレビト」は「荒れ人」という意味で使われている。気性が荒くなるモードに入るととラフプレイに走る。

 

「顔ボコボコなのに粋がるなよっ!」

アレビトは猛牛のように突進した。狙うは右フックだ。

 

ガキッ! と骨と骨の衝突する乾いた音がした。

 

五色は左手だけの肘でフックをブロッキングした。

「君は帝都の科学力をどう思う? 僕は未だに素晴らしいと思っているよ。

現代科学と呼ばれる物を凌駕している」

 

アレビトは「頭がイっている」と判断して五色の話をあまり聞かなかった。

すぐに右手の弾かれた反動を利用して左フックを打つ。

グシャッと拳は五色の右頬に食い込んだ。

五色は中腰になって両手を両膝に置く形となる。

口から血がボタボタと垂れているが少し笑っているようだ。肩を微妙に揺らしながら笑っている。

「横文字というのは今の帝都、いや東京やらで流行っているのかい? 私は「帝都メタルマシーン」と昭和五年に名づけられた。当時にしては斬新であろうと僕は思っている」

 

(やっぱりこいつ頭おかしい)

アレビトは上から殴りつけるように左の拳を振り下ろした。

「ウグッ!」

五色がそう呻いて顔を吹き飛ばされ、血みどろのマウスピースを吐き出した。

ビチャン、ビチャン、ビチャン……。

会場の時間が止まったように静かだ。

 

五色はヨロッとよろけるとそのまま倒れて仰向けに転がった。

 

すぐにレフリーがカウントを始めた。

 

「ゴホッ……やはり女性を殴るのは僕の生には合わない。このまま初試合で引退という形にするよ。

吐き出したマウスピースは見られるのが恥ずかしい。こっそり処分を頼む」

五色は体の力を抜いて眼を閉じた。

 

「帝都とか……その軍服のズボン? アンタ、センス以前に頭のネジをどうにかしたら?」

アレビトはそう言うと溜息を付いた。妙な試合だったがやっと終わる。

 

中島は半ば諦めていた。観客も全く楽しそうでは無い。

たった一度のブロッキングしか見せ所の無い試合。「こんな選手を連れてきやがって」と上から言われ、

クビにされるに違いない。もうヤケクソだと思った。

 

「五色! 帝都の科学力はそんなモノかよ! へ、陛下に対して……(俺、恥ずかしい事言ってるよな)」

 

その言葉に、五色がムックリと起き上がった。

 

「そう言われればそうだな。誇りを汚されている気がする。このような試合に出る事自体、穢れているがな」

 

カウント八で五色は立ち上がった。

そして吐き出したマウスピースを咥え直す。血の味が口いっぱいに鉄臭く広がった。

 

「アレビト君は殴られる事に抵抗があるかい? 僕には僕の理由があって勝たなければならない」

 

「帝都キチ○イが!」

アレビトはそう言って唾を吐いた。

 

それを聞いて五色は俯いて肩を震わせ始めた。

誰が見ても怒っているようにしか見えない。いや、怒りを通り越しているようだ。

アレビトは少し下がった。

(今までどおりの戦略でぶちのめせばいい!)

 

 

「僕は非常に気分を害した……僕への侮辱による憤怒の対価を身をもって知りたまへ」

 

中腰だった五色が顔を起こした。まさに本人の言う(憤怒)の顔だった。

 

「喋ってるヒマがあるならやれよ!」

アレビトは右拳を振り下ろした。

 

ガッ!

 

(手応え有り!)

アレビトはニヤリと笑ったが、ふと見ると自分の拳が五色の左頬に当たったまま止まっている。振りぬけていない。

それどころか五色の頬にめり込んでもいない。

 

五色は少し体を反るように一気に上半身を起こした。

そして右ストレートを打つ体制を見せたのでアレビトはガードへ両手を上げようとした。

だがそれより早くアレビトの顔面に拳がめり込んだ。

 

「加速零(かそくぜろ)だ。早いだろう? 顔面に拳を叩き込むのは君のような非国民には丁度良いだろう」

 

拳を離すとアレビトは血を吹いた。五色は顔に返り血を浴びながら勝ち誇った顔をしている。

脳まで揺れてパンチ酔いをしているアレビトはボーッと立ち尽くしている。

 

「これは奇術では無い。君は現実を受け入れたまへ。繰り返し言うが、

帝都の科学力は現代の科学力を凌駕しているのだよ」

 

「くっ!」

アレビトは急いで構える。まだ頭がフラフラしているが何とかパンチは打てそうだ。

 

「正気に戻ったかい?」

 

「甘っちょろい! 追撃をしなかった事を後悔するよ!」

 

アレビトがそう言った直後に顔が熱くなった。

ジャブだ。恐ろしい程のスピードでジャブの連発が襲ってくる。

 

「いいかい? 後十五秒でこのラウンドは終わる。だが」

 

グシャァッ!

 

アレビトの頬にフックのような形でパンチが放たれた。

 

「だが、次のラウンドは無いと思いたまへ」

 

グッシャァァァ!

 

アレビトの血と唾液にまみれたマウスピースが吹き飛ぶ。

 

「あと五秒だ」

 

グワッシャァァァァッ!

 

まだ吐き出したマウスピースがマットに落ちていない内にアッパーが炸裂してアレビトは体を宙に浮かせた。

血の雨が降り注ぎ、アレビトはマットへ叩きつけられて、すぐに痙攣を起こし始めた。少し大きな胸がプルプルと

揺れている。眼は完全に白眼なので意識は無さそうだった。

 

「普段なら君のように可愛い女性を殴るのは心が痛むが、

今の君のような者が這いつくばっている姿には全く同情しない。

僕の逆鱗に触れた事を不幸だと思いたまへ」

 

そう言うと腫れた顔で馬鹿にしたような薄ら笑いを浮かべて五色はアレビトを見下している。

 

アレビトは痙攣を続けながら失禁を始めた。

薄いトランクスの下に下着を着けていたが放尿の量が多く、

トランクスの股間の辺りの色が変色したと思うとそのまま一気に尿が広がって行った。

 

「ほら、君のマウスピースを拾ってやったぞ」

五色は右グローブにアレビトのマウスピースを持っている。

 

「どうだ、恥ずかしいか? 匂いも嗅いでやろうか? うぷっ!

 君の口腔の匂いは凄いな。血の匂いがするかと思えば……」

 

五色がマウスピースを傾けるとアレビトの唾液がツツーッと大量にハチミツのような粘度で垂れる。

 

「血は外側だけで、中は唾液で一杯だ。まあ聞こえてはいないだろうな。痙攣は良いが失禁はいただけない。

軽蔑するよ、いや、軽蔑を通り越して僕は君を見下している。じゃ、汚いものを返そう」

五色はマウスピースをアレビトの胸に投げつけた。柔らかい胸に当たり唾液を散らし、

胸は少しへこんだがある程度の張力で胸から跳ねて、マウスピースはビチャビチャ音を立てながらマットを転がった。

 

レフリーが五色の手をつかんで挙げると、満面の笑みで客に笑いかけた。

「帝都の科学力は世界一である!」

そう五色が叫ぶと

「帝都! 帝都!」と拍手喝采が起こった。

大勢のファンが出来たらしい。

 

 

「私の秘密? 帝都の科学力の事か?」

試合が終わってどうしても中島は知りたかった。常人が打てるようなスピードのパンチでは無かったからだ。

 

「ナノマシンだ。私の血液にはナノマシンが大量に入っている。

0・一ミリの機械が入っており、それを体中に移動させる事によってその場所を硬化したり、

「加速零」を打てるように筋肉の補助をしたり出来るわけだ」

 

「無敵じゃないか!」

 

中島が言うと五色は首を左右に振った。

 

「血液中を満たすと危険なのである程度しか入っていない。

それにそれらをメンテナンスをする為のナノマシンも有るのでなおさら増やせない。

つまり私が右手を硬化した場合、他の部分は普通の人間と変わらないわけだ。瞬時の判断力が必要になる」

 

「ほー、深くは聞かない……でもこれでデビューが決まったよ! 」

 

「いや、僕はどうも女性を殴るのに抵抗があるようだ。今回で終わりにさせて頂こうと思う」

 

そう言いながら五色は軍服一式で中島に敬礼をした。

 

「そうか……君には君の人生があるもんな。じゃ今回の試合の報酬を渡すよ」

 

「すまない。これで失礼する」

 

五色は部屋から出ると、出口への通路を歩きながらふと謝礼の封筒が気になった。

 

(三〜四日はこれで空腹は凌げるだろう)

 

自分でもマナーが悪いと思ったが封筒を開けた。

 

 

三十五万円入っていた。

 

 

 

 

中島は経理の仕事の一環としてパソコンで色々と処理をしていた。

少し眼が疲れて眼を指で押さえて溜息を付くと、入り口のドアをノックする音がした。

 

 

「はぁい、どなたですか?」

 

 

 

「あ……五色だ。拳闘もその……良い物だな」