キャンセル

 

「五色ちゃん」

「お、そろそろ試合の日だな中島」

「いや、それなんだけど向こうからキャンセルされちゃったんだよ」

 

「敵前逃亡か? 花柳上等兵め」

「色々あるんだよ、多分ね」

「天神め、何か企んでいるな」

「いやいや、それは忘れてさ。他の試合組もうよ」

「B地区と言ったか? 中島。連絡したまへ。敵前逃亡か? と相手に送ってもらへ」

 

そのような話をしていると、事務室のドアが開けられた。

 

花柳だった。冬向きでカジュアルな服を着ており、どこか申し訳なさそうな顔をしている」

 

「花柳上等兵。久しぶりなのに挨拶も無しかい?」

皮肉そうに五色は言った。

「陸山軍曹……お久しぶりです」

「うん、久しぶりだ。まず積もる話もあるだろうが来たからには理由があるんだろう? 言いたまへ」

 

「はい……私は若くいたかった為に天神博士に当時のままの姿、そして戦闘肉弾兵器へと改造されました。

地下女子ボクシングで荒稼ぎの為に試合に出る事となったのです」

 

「そうか。僕と同じ体か」

 

「陸山軍曹が私に試合を申し込んできた時、天神は驚きと喜びを感じたようです。何せ」

 

「何せ?」

 

「陸山軍曹のナノマシンの設計図は天神の手に渡る事は無かったのですから……」

 

「成る程。つまり私の血を絞り取ってナノマシンを手に入れる。こうかい?」

 

「そうです。ですから私よりその能力に長けた者を用意して申し込んでくる予定です。もし挑発が来ても無視して下さい」

 

「滑稽だな」

五色は笑いながら首を左右に振った。

 

「私に奇襲をかけて攻撃すれば良いのに何故そういった手間のかかる事をするんだい? 第一、この場所は君によって割れている。」

 

「私が独自に調べました。陸山軍曹! 逃げて下さい!」

 

「所で僕は君が二等兵の頃から暴力を振るわなかった。何故だか判るかい?」

 

「え? はい、そう言えばイジめられた事はありません。助言も色々頂いたので感謝しています。ですからこうやって危機を」

 

五色は花柳の頬を殴った。勢い良く花柳の体は壁に叩きつけられる。

 

「敵前逃亡を君はしなかったからだ。階級をこへて僕は君を尊敬していたが、失望したよ」

 

「五色! やりすぎだろう、もう軍隊は日本に無いんだ。そのヘンは自由にやらせろよ」

中島は花柳をかばうように言った。

 

「中島。僕は戦友、親友として殴ったんだ。君にも親友はいるだろう。だが久しく会ったときに堕落していたらどうする?」

 

「だから、軍隊みたいなやり方をするなと……」

 

「いいや、僕と花柳は今でもこういう関係だ。最初から彼女は僕の事を軍曹と呼んでいたのに気がつかなかったのかい?」

 

「それは……いきなり元上司に会ってなれなれしく出来ないのといっしょで……」

 

「そうか中島。そういう事も確かにある。それについてはどうだ? 花柳」

 

「今でも尊敬しています……ずっと私は上等兵であり、あなたは軍曹です。変わりません」

その言葉に五色は笑顔になった。

 

「そうか! さあ、鉄拳制裁は終わったんだ。立て」

五色は花柳の手を掴んで片手で持ち上げた。

 

「では、相手ですが。淵 峰子(ふち みねこ)と言います」

花柳も落ち着いたように話し出した。

 

「陸山軍曹と淵にキズが付くだけで良いんです。彼女の血の中の機械――ナノマシンほどの性能は全くありませんが、

ナノマシン自体を取り込むつもりです。淵の血はほぼ機械です。血液が自由に動くと思ってもらえれば……」

 

「花柳上等兵。ナノマシンはそのようなモノでどうこう出来るものではない。私は昭和5年から使っているが、

レポートに書かれなかった誰も知らない能力を色々と知っている。何せナノマシンは僕の人生の友でもあるのだからな」

「それなら良いのですが……当日の客は天神関係の者で埋めてしまうらしいのです。レフリーさえも……」

 

「ん? おかしいぞ君の話は。何故金を必要とする立場なのに地下ボクシングでそこまで出来るのかい? 金ではなく権力を得たのかい?」

 

「陸山軍曹の仰る通りです。確かにおかしいと感じるでしょう。しかし若さを維持出来るために改造された人間がそれ程いるという事です。

各自チケットは実費で出せば良い事。後はレフリーを買収するお金があれば良いだけ……」

 

「ははぁ、権力というかそのカリスマ性を使う訳だな。策士までは行かないとしてもなかなかやるではないか」

五色はそれでも余裕でいるようだ。

 

「陸山軍曹……」

急に花柳が小さな声で言った。

 

「ああ……君をつけて来た者がいるようだな」

五色は開きっぱなしのドアを見た。

 

すぐに銃を持った女性が姿を現した。

 

「血を……血を持って帰ればこの若い姿のままにしてもらえる……悪く思わないで下さい」

どこから見ても年が三十前の一般人の女性だ。改造する代わりにと依頼されたのだろう。

 

「やれやれ、天神は宗教でも作るつもりかい? お嬢さん、僕にその銃を打ち込んだらすぐに逮捕されてしまうぞ?

 そして身元がバレたら天神も逮捕されるだろう。若さを保つには無理だ」

それを聞いて女はニヤーッと笑った。

 

全員を殺せば回収隊が来て、誰にも犯罪はバレないようになっています。私は若さを……」

女性は銃を五色に向けた。

 

そして引き金を引いた。

 

瞬間、花柳が体を精一杯広げて五色の前へ飛び出た。

 

パン! と音がして壁に跳弾する音が幾つもした。

 

「うわっ、小型で散弾銃?」

小島は足が震え、うずくまってしまった。

 

「げほっ……」

花柳は血を吐いてフラフラしながらも立って五色をガードしている。

 

「……内省したまへ、そして贖罪したまへ、そして最後に己の罪を身をもって知りたまへ!」

 

五色は滑るように女の前へ出た。

「加速零ッ!」

五色は叫んで女の顔面を粉砕するつもりだった。

 

「ゴホッ! 陸山軍曹! 私はわりと平気ですから!」

 

「何?」

加速零は女の顔すれすれを通過して開いているドアに当った。

ドアは外れ、アルミのフレームが形をぐしゃぐしゃに変形させて通路の外の壁に叩きつけられた。

女はへなへなと座り込んだ。

 

「痛い……ですがある程度の場所で弾丸は止まっています。ナノマシンを想定して作られたでき損ないではありますが、

この銃程度なら平気です……」

花柳は苦しそうな顔をしながらも笑おうと努力している。

 

「そうか、では治るのだな。激高する前で良かったな、女」

 

五色はそう言うとデスクの椅子に座って言った。

 

「女。情報を全て話せ。激高せずとも頭を吹き飛ばす事は容易だ。さあ、話せ」

 

「も、もう銃とか暴力とかバイオレンスなシーンは無い?」

中島はうずくまったまま言う。

 

「それは無いだろう。だが情けない男だ君は」

五色は呆れて言った。

 

突然女がポツリと話した。

「回収部隊は嘘です」

 

「そうか。他に話せる事があれば話してくれ」

五色は言った瞬間、女が叫んだ。

 

「リロード!」

 

跳弾の音が再びする。そして休もうと横になっている花柳の体から弾がズボッと抜けて、全て女の持つ銃の銃口に吸い込まれて行った。

 

「こう言えば天神様に弾の補給が出来るって聞いてました。やっぱりあの方は凄い。そして私は若さを保ったまま生きることが出来る!」

 

女が銃を五色に向けた。

体を守るものは無い。

「散弾銃では無く、一発一発打てるモードに変更しました。動いた人から……」

 

「やれやれ」

五色は椅子から立ち上がった。

女が銃を向けてためらう事無く発砲した。

五色の肩を弾が貫通して血が吹き出る。

 

「うわーっ俺はカンベンして下さい!」

中島は命乞いをしたが、女の眼中にもはや彼は無かった。

「血だ、これをもって帰れば天神様に……」

女は歓喜の声をあげた。

 

「やはり、やれやれだ今の時点で二つ言える」

 

女は聞いていないようで、ガラスの容器を急いでバッグから出すと五色に近寄る。

 

「一つ。君は万死に値する」

 

女はキュポッと容器のふたをあけた。

 

「二つ。あと一秒の命だ。大切に使いたまへ」

 

「えっ?」

女が叫んだと同時に額に銃弾が打ち込まれた。

 

「僕の血、いや、ナノマシンが付着しているんだ。弾丸をコントロールするなど容易だ。天神も知らないだろうがな」

 

 

     試合に臨む

 

「くっそー、こえぇ! 死体処理なんて初めてしたよ、五色が指定した場所に捨ててきたけどすぐに見つかるぞ?」

中島は汗をぬぐい、机の上のコーラを飲んだ。

 

「死体では無い。花柳といっしょの改造だ。銃弾は途中で止まったので兵器としての改造はされていたようだな。

意識を戻したらどこかへ行くだろう。弾丸に付着していたナノマシンで記憶を全て抹消した」

 

「凄い万能だねぇ」

小島はホッとしたようだ。死人を出さなくて済む。

 

「さあ、花柳上等兵。僕が怪我を見てやろう。脱いでくれ」

 

「ええと……男性の前でですか?」

 

「という事だ。小島。あっち向いてろ」

 

「え? うん。はい」

 

花柳を裸にして五色はショックを受けた。

 

「花柳上等兵。君は……その。あんだーへあーの処理をちゃんとしているのか」

 

「え? 今は誰でもやってますよ?」

 

「も、もしもそれがもっさもさに生えてたらどうだ?」

 

 

「うーん、男性なら引くでしょうね」

 

「い、いや、私はきちんとそろえているぞ? ははは、もっさもさはダメだなぁもっさもさは」

 

「陸山軍曹……何で泣いてるんですか?」

 

「泣いてなんかいないさ。えーとキズは……すぐ治りそうだな。良かった」

 

「陸山軍曹、ひょっとしてもっさもさですか?」

「なっ何をバカな事を」

「ちゃんと処理しないのは敵前逃亡ですよ!」

「うっ……」

 

「まさか軍曹のココを拝んで触る事になるとは思いませんでした。じゃ、剃りますよ」

 

「ああ、二度と生えないように全て剃ってくれ」

 

「それはマニア用ですからやめたほうが……」

 

「まかせる」

 

「ええ、でも陸山軍曹……ここちゃんと洗ってます?」

「え? どっどういう事だ?」

「いや……洗ってます? 綺麗に」

「昔、石鹸で洗っていると中にしみたので水洗い。ちゃんと水洗いはしているぞ!」

「そうですか……」

 

「……花柳上等兵」

「はい?」

「正直に言ってくれ」

「臭いです」

 

 

「くっくっ! くぅっ!くすぐったい!」

「陸山軍曹。私も恥ずかしいんですから。開いて脱脂綿で掃除」

「あんまり見るなっ!」

「無理ですよ。隅々まで拭かないといけないんですから」

「すまない。耐える……が。体が火照るぞ」

「……ええ。ここを見るだけでどういう心理状態かはわかりますんで」

 

 

「はい終わりました。ヘア揃えて掃除もしましたんで。これから後はご自分でケアして下さい」

「悪かったな。脱脂綿を見せてくれ」

「……趣味悪いですね。はい」

五色は手に持って嗅ぐ。

「これを世間では臭いというのか? 高級なチーズの香りがするんだが」

「高級ですか?」

 

「うむ。僕は食べたことがある。高級なチーズは美味だが結構臭いんだぞ? ブルーチーズとかな……臭い? はっ!」

「聞かなかったことにしますから……」

「うむ。そうしてくれ。思わず中島に加速零を打ち込む所だった」

 

「何ぶっそうな話してるの? 一時間経つけどまだ振り返っちゃダメなのかい?」

 

「ああ、もう良い。サッパリした」

 

中島は振り返ってすぐに言った。

「花柳ちゃんはその、天神の所へ帰らなくてもいいのかい?」

 

花柳は諦めたような笑みを浮かべた。

「もう帰れませんよ。とっくに裏切りましたから処刑されてもおかしくありませんし」

 

「花柳上等兵、ならば私達と行動を共にしよう」

「えっ?」

「一人で逃げ回るつもりだったのか? ここにいろ。私を銃から庇ってくれた恩人を突き放す事は私には出来ない」