「いやぁすごいよ〜!」

更衣室へ突然拍手をしながら温子が入ってきた。

「お前かよ……」

鮫嶋は頭痛がするように頭に手を当てて溜息を吐いた。

「ライバル同士、今度戦いましょうかっ!」

温子は構えてジャブを打っている。

「何でさぁ、お前は俺をライバルっつってるワケ? 会うの初めてだし……親の代の因縁とかねえだろうし」

 

「えーとですね、「同じくらい強い」、「カッコイイ」、そんなところでしょうか?」

あっさりと温子は自分を強いと言った。

 

「じゃあこれから試合組め。ヒルコって選手が控えてると思う。あいつ強いから勝てたら試合やってやるから。じゃあな」

一通り着替え終わって鮫嶋は帰ろうとする。

「試合やりますけど、何で帰ろうとしてるんですか? 見ていかないんですか?」

 

「今度勝敗教えろ、じゃあな」

 

「えーっ、携帯電話の番号は……」

 

「忘れた。じゃあな」

 

鮫嶋が帰った後、急いで温子はエントリーをした。運よくヒルコと試合を組むことが出来たが事務員に「死なないでね」といわれてしまった。

 

 

「ヒルコです」

「うわっ!」

温子がリングサイドで試合内容の打ち合わせをしようとヒルコを待っていると向こうから声を掛けてきたらしい。

ヒルコは百六十センチ位の背だろうか? 全体的に暗く、肩まで程度の長さだが黒い髪がばさっと左目を隠している。

どこかしらボーッとした目をしており、温子は「ボケたカラスのようだ」と感じた。

 

「あなたはここで初試合ですからリング上のトラップも軽くしましょう。「砂漠の光」なんてどうですか? マットの代わりに砂が敷き詰めてあります」

 

「あ、はい。砂だと体力の消耗が激しく疲れやすいですが、体が叩きつけられるぶんにはダメージ軽減になりますね」

温子の言葉にヒルコはフッと笑った。

「新素材ですよ。軽く触れると柔らかく、勢いづけて叩くと硬化する砂ですから」

 

「それは恐ろしいですね! 他にはどういった?」

 

「どういった?それだけですよ」

 

「でも鮫嶋さんみたいにトラップをガンガンに入れないと認めてくれないと思うんですよ」

 

「うーん、私、やりすぎちゃうんでトラップ多くすると普通のケガでは済まないかと」

ヒルコは自分の強さを自負しているらしい。

 

「あっ、四方からランダム、一定時間にバスケットボール大の硬球が飛んでくるヤツありましたよね。それ入れませんか?」

 

「ふむ……確かに私のバランスを崩す事によって有利にもなるかもしれませんね。いいですよ」

 

「後はグローブの表面が鉛になってるヤツありますよね? あれやりましょう」

 

「……死にたいんですか? まあいいでしょう」

 

 

話し合いは終わった。

     マットの上は特殊な砂

     ランダムにリング上に硬球が打ち込まれる

     鉛入りグローブ使用。

     どこをどう打っても良い。どのようなパンチを打っても良い

 

こういった内容になった。

温子は試合はまだかと、既にピンク色のグローブとトランクス、シューズの格好で待っている。

勿論トップレスだ。

 

****

 

「ヒルコって言っちまったけどあいつ死ぬな……まあいいか」

鮫嶋はスーパーストロングという缶ビールを飲みながらコンビに前で呟いた。

 

***

 

リングは用意され、温子とヒルコは向かい合っている。ヒルコはグローブとトランクスとシューズは紫一色だ。トップレスだが胸としては温子の方が発育が良い。

 

公平にこの会場の女性スタッフがセコンドにつくが、指示は出さずにインターバルの作業だけを行う。

 

カーン

 

試合開始のゴングが鳴った。

温子はジリジリと少しずつ前へ出る。

「先手必勝ですよ」

そう、ヒルコが呟くとダッシュした。

ザシュッ! ザシュッ! と砂を踏む音と共に

ヒルコは温子に迫る。

 

ある程度の距離でヒルコは急ブレーキをかけた。

ザザザッと砂が舞い上がり温子の目に砂が入った。

「ぐっ!」

温子は目を瞑ってしまった。

(ここで生き延びるには罠を最大限に使わないとダメなんですよ)

そう思い、ヒルコはニヤリと笑った。

両手の鉛のグローブは重いが、このスキにゆっくり後ろへ引き、一気に顎を砕くつもりだ。

 

「……確かに先手必勝です」

 

ヒルコの呟いた口の動きで何を喋ったか、温子は読み取っていたらしい。

 

ヒルコは怯んだが、もう拳は力いっぱい後ろへまわした。後は殴りつけるだけだ。

そして一歩踏み出してパンチを……。

 

ガッ

 

「うっ」

ヒルコが砂の山に躓いた。

体勢を崩して、温子はヒョイと避けるとその上にバタンとこけた。

「じりじりと動きながら砂の小山をトラップに作っておきました。ほら、草を結んで誰かがつまづいてこけるのと同じようなモノです。フフフ」

温子はほがらかに、うれしそうに笑っている。

 

「……」

ヒルコは無言で立ち上がった。

こんな新人に笑われて腹も立つが、心を乱してトリッキーなプレイは出来ない。

しばらく向き合っていたが、何かに気づいたようにヒルコが言った。

 

「なるほど、色々な面でアナタはスキルが高そうですね。ですがこのトラップを応用するのは難しいのでは無いかと思います」

そう言ってしゃがんだ。

 

ヒルコのしゃがんだ後ろからトラップのボールが急に飛んできた。

 

バスッ!

 

「ぐあっ!」

温子は避けるのに間に合わず、顔面にボールを食らった。ヒルコは飛んでくるボールの発射音が小さく気づきにくく、それから何秒で自分の真後ろまで飛んでくるかも経験で知っていた。

 

「ぐっ」

温子は鼻血を散らして仰け反っている。

こうなればもう鉛のグローブは上から叩きつけるように打てば良い。歯をヘシ折って大きなダメージを与える事が出来る。

 

「最初の砂の山のトリック。あれは良かったですね。参考にします、ではさようなら」

 

ぶんっ!

 

ズガッ!

 

見事に温子の顔面にヒルコのグローブが突き刺さった。

そのまま力任せに突き出して砂の上に叩きつける。

 

ダンッ!

 

勢いがつき、温子が叩きつけられた砂は硬化し、まるで鉄板の上に全身を叩きつけられたようなショックを感じる。

「ぶっ」

温子はマウスピースの隙間から血を少し吐き出す。完全なダウンだ。

 

レフリーがカウントを数える。

ヒルコの過去のパターンで言うと試合は終わりだ。もうシャワーをさっさと浴びようと冷静に考えていた。

 

 

「っつつつつ……痛いですね」

カウント八で温子は立ち上がった。

だがダメージは大きい。これから試合がどうなろうと慎重になればヒルコは勝てると思った。

同じパンチをもう一度叩き込むと確実だ。

 

「フラフラしてますね。残念ですが経たないほうが良かった。また鉛のパンチを食らって最後には負ける訳ですから」

ヒルコは冷酷な目をして言った。

 

「お気遣い嬉しいですわ。でもこれで負けちゃあライバルに申し訳ないですし。正直あなたは眼中に無いんですけどね、このラウンドであなたを圧倒的に倒しますんで」

悪びれる様子の無い悪態を温子はついた。

 

「……脳震盪ですか。おかしなモノです」

ヒルコは首を残念そうに左右に振ると、拳を後ろに引いた。

たとえ同じ鉛のグローブでガードをされても勢いの付いているヒルコのパンチの威力は大きく、温子は弾き飛ばされて体は叩きつけられるだろう。ヒルコは自分の勝ったという気持ちは変わらない。

 

ヒルコがパンチをストレートに打つモーションに入った。

 

「トラップは大体、頭に入りましたわ」

温子は言う。だが何が出来るものかとヒルコは強気で、そのままストレートを顔面に打ち込もうとする」

 

「私、足癖が悪いですから」

ニッコリ笑って温子は言う。

そして砂を大量に蹴り上げた。

 

砂の壁が出来、ヒルコのパンチが当ると硬化して威力をかき消す。

「砂の壁っ?」

ヒルコは思いも寄らない手に驚いた。

砂の壁が落ちた後には向かい側にストレートのモーションに入っている温子のグローブが見えた。

 

グワシャッ!

 

ヒルコの顔面に温子のグローブは炸裂し、鼻血を噴出して頭がグラグラと揺れた。

 

(経験ならこちらが上ッ! まだまだ!)

ヒルコは基本的に砂使いと言われる程に有名な選手で、様々な方法で砂を使い恐れられている存在だ。その砂のリング上で相手に押されるのはプライドにかかわる。

 

「はっ!」

ヒルコは少し朦朧とする中、砂を少し蹴り上げた。

そしてそれを殴る。

それらは温子に当ると硬化して、顔や胸へと当った部分は殴られたようなダメージを受けた。

 

「くぅっ!」

温子は後退を始めた。一旦距離をおいて策を練ろうとでもいうのだろうか。

 

「距離はあまり関係ありませんよ」

そう言いながらヒルコは同じように砂を蹴り上げて殴った。

飛び道具だ。少し距離をおいた温子へ同じように辺り、温子は鼻血を撒き散らしながら後ろへ後ろへ逃げる。

「もうスキは与えません。たたみかけますよ」

前へ出ながら同じ攻撃をヒルコは続ける。

そのたびに温子はダメージを受ける。

ガードしようが、そこ意外には砂が当たり実質殴られたようなダメージを受けてしまう。

 

「奇想天外ですね。まさか……こういった攻撃を受けるとは」

温子が言うが、もう最後のラッシュといわんばかりにヒルコは土を蹴り上げた。

「これが鉛のついたグローブでなければこの攻撃は食らわずに済んだものを……普通に殴れば拳がやられちゃいますからね。これで終わりです。ですが反撃をされないように……」

 

ヒルコがしゃがむ。

ヒルコの背後めがけて発射されたボールが温子の喉あたりに当った。

 

「グェホッ!」

温子が粘ついた唾液を吐き出した。

 

「ボールが飛んでくるのはランダムにオート標準なんですが、今日は私が標的によくなりますね。本当にラッキーだ」

ヒルコはそう言ってフィニッシュブローを打とうとした。

「砂は痛いですから……ボールはまだ弾力性があるのが良かった。本当に良かった」

温子はそう言うとボールに体を後方へ吹き飛ばされる……が、ロープ際だった。

グーンとロープへ体が預けられ、反動で温子は前へ勢い良く飛び出した。

(こいつは何をするかわからない。冷静に、冷静に)

ヒルコは首を傾けて勢いと同時に打って来た温子のストレートを避けた。

 

「ここまでは想定内なんですよ、ウフフ」

 

「え?」

ヒルコが不思議そうな顔をする。何が想定内なのだろうと冷静にまわりを見た。

温子が裏拳を打とうと回転を始めるのが見えた。

 

(なるほど。ストレートは布石で、裏拳につなげたかったのですね)

ヒルコはポンと後ろへ飛び、射程内から脱出した。そして「ふう」と溜息をもらす。

 

「いいですね、その位置。とてもいい」

温子の言葉にヒルコは首をひねる。

 

「ヒルコさん。あなたが砂を蹴り上げたと同時に私は砂をより高く蹴り上げていた。わかりますか?」

 

「あっ!」

 

ヒルコが気が付いた時に、砂の塊が降ってきた。

温子の裏拳は回転で勢いを付けたグローブが炸裂し、ヒルコに襲い掛かる。

 

(ガードを……)

 

「ヒルコさん。これガードしても無駄だって自分で分かってるでしょう? これだからいけない」

 

ドスドスドスッ!

 

裏拳の回転の勢いがあるので砂は最大限に硬化した状態でヒルコのガードをすり抜けて銃弾が何発も突き刺さるように命中した。

 

「ぐあああぁぁぁっ!」

ヒルコの体に激痛が走る。

 

「ボクシングですからやっぱりシメは直接パンチですよね」

 

ぐっしゃぁ!

 

温子のグローブはヒルコの顔面にめり込んだ。

 

「んぶっ! ぶぇほっ!」

ヒルコが血にまみれたマウスピースを吐き出した。

 

「マウスピース、砂にまみれましたね。咥えても口にケガするだけですよね」

 

温子は全て予想通りという雰囲気だ。

(距離をおいて挽回しなければ!)

ヒルコが砂を蹴り上げた。

(砂を飛ばして時間を稼げ、稼がないとやられてしまいます。こんな新人に……)

 

だが勢い良く走った温子が先に砂を殴っていた。

 

バスッ!

ヒルコはガードする余裕も無く、砂の硬化の餌食となった。

「がぁっ!」

ヒルコが血と唾液を吐いた。口からそれらが糸を引いてぶら下がっている。

 

その勢いのまま、温子のストレート!

 

 

ぐっしゃぁぁぁぁっ!

 

血が飛び散る。

ヒルコの口から血と数本の歯が飛び散る。

「あ、あなたは一体何なんだっ……」

朦朧とする意識の中、おもわずヒルコは口に出した。

 

「ありとあらゆるスポーツで国体まで行ってます、運動大スキ女の子です。ありがとうございました」

 

 

ぐしゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!

 

 

***

 

「スーパーストロングはキくわぁ。気持ち良く酔ってしまった。温子だっけ? あいつの死に顔でも見るか」

そう思いながら鮫嶋は試合会場にフラリと入って驚いた。

何故、温子がレフリーに腕をあげられて勝ちをアピールしているのだろう。

 

「あー、飲みすぎたからか。帰ろ」

そう言って鮫嶋は踵を返した。