「だからよ、俺は忙しいっつーの」

鮫嶋は泳ぐような目で言う。

温子と二人で古ぼけた喫茶店でコーヒーを飲んでいる。

 

「あら? でもヒルコさんを倒したら戦ってくれる約束でしょ?」

 

「だから忙しいっつーの!」

「ああもう! コーヒーがお口から垂れてる」

温子はハンカチを出すと鮫嶋の口元に当てた。

 

「だーっ! やめろ」

 

「え? 服まで垂れたら汚れちゃうでしょ?」

 

「お前は俺の母親かよ!」

 

「あらいやですね、母乳が出ちゃうじゃないですか」

恥ずかしそうに温子は頬をポッと紅くする。

 

鮫嶋は頭を抱えた。呆れたのが半分。後はアルコール過剰摂取によるものだ。

 

「約束ですから。試合の段取りを決めましょ?」

 

「約束か……」

「そう、おやくそくね」

 

「……存じません」

「まあっ、本当にそっくりね」

「お前の昔の恋人か?」

「いえ、保母さんやってた頃の竹木君に」

「……そいつ何歳?」

「むっつです」

 

ハァーと溜息をついて鮫嶋は再度頭を抱えた。

 

「しゃあねえなぁ。明日試合が入ってるからそれが終わってからな? 本当にお前を殺す気でやってやるから」

 

「あら、楽しみにしていますわ。私もぶっ殺しますよ」

「あわねぇ……「ぶっ殺す」って本当にお前にあわねぇセリフだ」

鮫嶋はそう言いながらコーヒーを横にどけると机の上に突っ伏した。

 

「鮫嶋さんはいつから試合されてるんですか?」

コーヒーを上品に飲みながら温子はおだやかに言う。

 

「俺は前回お前が見たのが初試合だよ」

「まあすごい!」

「まあ……お前もデビュー戦だったんだろ? よくヒルコに勝てたよな」

「いやいや、あの程度で……」

温子がコーヒーを飲む。

 

(うぜえけど強さ未知数なんだよなこいつ)

鮫嶋嘘をついていた。

明日試合が有るというのは嘘だ。

(こいつバケモンだったら困るからもうちょっと弱そうなヤツとやろう)

 

「で、別に興味はあんまりないんだけど、お前ってこう、上品だよな、何が目的でD地区地価ボクシングなんてやってんだ?」

 

「陽野財団の一人娘ですわ」

温子が首をかしげるようにしてニコッと笑いながら言う。

 

「おいおい、金なんて腐るほどあるだろ。ファミレスとか石油会社とかあるし」

 

「うーん、頼りたくないというか、私は上品ぶるのが嫌いなんです。ダーティな暮らしをしてみたいなぁと思いまして」

 

「変なヤツだな。まあそれはおいといて。何で俺がライバルなワケ?」

「うーん、いずれお話します……ところでその顔のキズはどうされたの?」

 

「おーい、コーヒーおかわり。うん、このキズはちょいと刀で切られちまって。

一生きえねぇが失明しなかったからいっかと思ってるけどね」

 

「そうですか、修羅場をくぐって来たんですねぇ」

「あ、ああ。とりあえず明日試合があるから俺は帰るわ」

急ぐように鮫嶋は立ち上がり去っていった。

喫茶店の伝票は見なかった。鮫嶋にワリカンという言葉は存在しない。

 

 

     リングのロープに触れると爆発

     ローブロー以外どのようなパンチを打っても良い

 

この設定で鮫嶋は淳子(あつこ)と試合をしていた。淳子は体中キズだらけでロープが爆発する試合のプロフェッショナルだ。

 

(いけねぇ、飲みすぎて頭いてぇ、ちぃと大御所のベテランしか試合が組めなかったのは痛いな)

背中からダラダラと血を流しながら鮫嶋は思った。淳子は思った以上に怪力もあり、

ボディを打つついでにそのまま体ごと持ち上げてロープに投げつけられてしまう。

ドォン!

 

爆発が起こり、体にキズが増え鮫嶋は倒れる。

「ゲポッ……」

酒で荒れた胃に直撃を食らったので鮫嶋は胃液を吐き出す。

無意識に立ち上がろうと鮫嶋はロープを掴んだ。

 

(いけねぇ!)

 

ドォォォン!

 

鮫嶋の体が吹き飛ぶ。

淳子は飛んできた鮫嶋の背中目掛けてストレートを打ち込んだ。

 

「かは……」

鮫嶋が血を吐き散らした。

そのままうつぶせに倒れる。

「んぶぇっ!」

血みどろの体から血みどろのマウスピースが吐き出される。

 

「新人がイキがるからそうなるんだよ。新人が五勝連続したら莫大な賞金が出るからそれでも狙ってるのかねぇ?」

 

その通りだった。

鮫嶋にはどうしても金が必要だった。

新人賞。五勝連続勝ちで一千万。

 

「新人賞? お金がいるのかしら?」

試合を席に座って見ていた温子がリングサイドに寄って来て言った。

 

「……金がいる。一千万」

一ラウンドでぼろ雑巾のようになった鮫嶋は苦しそうな中、切実な顔を見せた。

 

 

「一ラウンドでこれじゃつまらないでしょう、私が鮫嶋の代わりに出ればもっと面白い試合になると思うんですけどねぇ」

 

温子が大声で言った。

淳子がそれに反応する。

 

「じゃあ今度試合組んでくんない? ボロボロにしてやるから」

笑いながら言う。

 

「いえ、この試合、選手を鮫嶋から私に交代させてもらえませんか? 負けるのが怖いのならいいんですけどねぇ」

淳子は気に入らないという顔を露骨に表した。

「お前も新人だろ? フザけてるんじゃない! 百年早いってんだよ!」

 

「えーと、じゃあ百年後の未来から私は来ました。選手交代しましょう」

 

観客席がシーンとなり場が固まる。

 

「あっははは」

淳子は笑い出した。

 

「いいよ、これ無効試合な。アタシとあんたの勝負にチェンジね」

D地区大御所の淳子の権限は意外と大きく、試合は組みかえられた。

 

「テメェ……何考えてるんだ!」

鮫嶋はうずくまったまま言うが……。

 

「急いでその場しのぎで嘘ついて適当に試合を組むからこういう事になるんでしょ? めっ!」

 

「めっって……」

その言葉を最後に鮫嶋は強制的に担架に乗せられ医務室へ消えていった。

 

 

「さて阿多子さん」

 

「淳子だ」

 

「失礼しました淳子さん。お名前知らないものですから」

 

「……フザけてるなぁお前は」

 

「真面目ですわ。ライバルをここで叩き潰されては困るんですの。いずれD地区で頂上対決をする相手ですし」

 

「バカか。アタシの他にもベテランは沢山いる。不可能だから新人賞は一千万っていう賞金が出るようになってるんだよ!」

 

「私も狙ってみましょうかね……一千万円を」

温子は不敵に笑みを浮かべる。